東北本線「山線」跡を行く

利府の家に戻ってきて、利府街道周辺を自転車でうろうろしているうちに、利府街道に平行して細い道路がずっと続いているのに気がついた。これはどうも昔の東北線の路盤跡がそのまま道路として使用されているものらしい。東北線は最初に利府から内陸側を品井沼鹿島台方向に行く「山線」で開業し、その後現在の海岸沿いを走る「海線」が開通、山線は廃止となり岩切ー利府間だけがかろうじて残されたという経緯らしい。

9月11日、今はなき利府ー品井沼間の「山線」跡を辿ってみた。




利府駅からわずかに先に森郷公園があり、旧形車両と蒸気機関車が保存されている。


利府中インターの入り口付近から細い道に入ると、いかにも軌道跡っぽい感じになる。


赤沼の染殿神社のところで利府街道の交差点にぶつかるが、砂利道で続いているのが軌道跡のようだ。このあたりは旧赤沼停車場跡だったらしい。


砂利道は松島海岸インター付近まで続いているが、その後一旦途切れ利府街道を進む。交通量が多くて怖いが、松島町域に入るとすぐ左手に平行する道が出てくる。
水田の中の平坦な道でらくちんである。


道ばたに石鳥居とさるすべりの大木、そして山側に朱塗りの鳥居が見え、立ち寄ってみる。
「馬櫪神社」(ばれきじんじゃ)。聞き慣れない社名だが、馬にまつわる神社らしい。馬櫪とはかいば桶のことだそうだ。大きな社ではないが、趣きのあるところだった。


樋渡付近で三陸道と利府街道に挟まれる形でまた一旦利府街道に追いやられるが、すぐにまた左側に入る道が出てくる。
不思議な形のタワー。給水塔らしいが、昔仕事でこの辺りを車で走っていた頃に見た記憶がある。



「山線」時代の旧松島駅の駅舎がデイサービスセンターとして使われているらしい。
軌道跡を走っていると裏側になるため気付かずに通り過ぎてしまい、少し引き返して写真を撮った。


現在の東北線、「愛宕」駅に出た。愛宕駅は旧松島駅が廃止になった時に代替駅として設置されたらしい。ここからは山線海線とも高城川に沿ってほぼ平行しているが、品井沼まで軌道があったらしいのでさらに進む。


高城川を渡る橋と東北線


高城川と品井沼の間は鉄道以前に元禄潜穴という暗渠水路があったところらしく、遺構が保存されている。
ここは「ずり出し穴」ということですり鉢状に掘り下げ、その底から横穴を掘り進んで水路としたものと推定されている。
難工事に伴う犠牲者や理不尽な悲劇の伝承もあるようである。

山線跡は隧道を通って品井沼駅へ続いているようだったが、手前で車両通行止めの看板があり、脇道(山道)に入り込んだところ、草の生い茂る難路となり自転車を推しながら強行突破したところ反対側の国道346号に出てしまった。仕方ないので国道沿いに峠を越えて、明治潜穴公園まで来て一休み。
とりあえずそのまま国道側から品井沼駅まで行ってみる。

本日の目的地、品井沼駅に到着。周辺に住宅もあり、予想よりちゃんとした(?)駅だった。

駅舎内もなんとも昔懐かしい佇まい。スイカは使えるようだ。
時刻表は見なかったが、路線沿いを走っていてももっぱら貨物列車ばかりが走っている印象だった。

品井沼は昔実際に沼があったらしいが、元禄潜穴と明治潜穴による干拓、水田開発によって沼自体は消滅した。それでも大雨による水害でこの辺りが水没したことは僕も記憶にある。

品井沼駅近くの松島第五小学校には「どんぐりころころの碑」がある。童謡「どんぐりころころ」の作詞者、青木存義は松島町そしてこの小学校の出身ということで記念しているようだが、その事実が再発見されて記念されるようになったのは比較的新しいことらしい。

山線跡を完全トレースできないのは心残りなので、車両通行止めの区間を再度逆から辿ってみた。
隧道手前(品井沼より)の一部で山側から土砂がくずれているところがあり、幅員が狭くなって自動車は確かに通れなさそうだったが、自転車は難なく通行できた。
狭い隧道を抜けると先程のずり出し穴のところに出てトレースがつながった。めでたし。
この隧道も旧山線跡のものを使用しているのであろう。
山線は海線に比べて急勾配の区間があり、それも海線に破れた一因とあるが、自転車で走る分には坂らしい坂もなく、快適なサイクリングコースであった。帰り道に松島の海岸側から利府街道側に戻る山越えのほうが難儀だった。