忙中閑あり

引っ越しは今週の木金。
土日月の3連休と火水は休暇を取って5日間準備期間があるので、今回の引っ越しは楽勝。のはずだ、多分。
で、片付けてるとつい昔のビデオテープなんかが出てくるね。
リレハメルのTV録画のテープが出てきた。
原田の有名な失敗ジャンプのあった大会だ。あの頃の日本選手のレベルはそんなにメダルラッシュを期待されることもなく、だから逆に雰囲気明るかったような印象がある。原田だって最後で失敗しちゃったけど、実は個人戦で誰もメダルに手が届かなかったので、競技が始まるまで団体で金が取れるかも、なんて一般視聴者は期待してなかったし、結局失敗しても望外の銀メダルという感じだった。(本人や関係者はつらかったろうけど)
複合の荻原健司は当時個人戦で圧倒的に強かったのだが、この大会だけはなぜかメダルが取れなかった。荻原は長野も含めて五輪の個人のメダルだけは縁がなかったね。代わりに河野孝典が気を吐き銀。最後に河野に抜かれたビーク(確か河野に「ビークは走りは遅いから抜けると思っていた」と言われていた)は、次の時代の王者として君臨する。地元の五輪で最後に河野に抜かれたのがよほど悔しかったかもしれない。
複合の団体は2大会連続の金という、今から思うと信じられない偉業を達成している。当時は当然取るだろうと思って見てたけど。
長野で活躍する清水や里谷、岡崎などは出ていたはずだが、目立った活躍はまだしていない。スピード女子はまだ橋本聖子が滑っていた!
女子フィギュアは天才ジャンパー伊藤みどりが前大会のアルベールビルで引退しちゃったので、谷間の世代というか、やはり過度の期待はされず、印象が薄かった。佐藤有香(ん?漢字がわからん)が5位に入ってて立派な成績だったのだが。。。
ともかく日本選手は長野に向って上昇機運にあった時期なのだと思う。
ところが世界史的に見ると、この時はボスニア内戦のまっただ中、サラエボを包囲するセルビア人勢力をNATO空爆するかどうかの瀬戸際、世界中の耳目がバルカンに集中している時期だった。NHKの五輪総集編にもその辺が色濃く表れていて、かつて五輪を開催しそして内戦で破壊しつくされたサラエボの映像、サラエボを命がけで脱出して参加したボスニアのノルディック選手、そしてセルビア人1カトリックイスラム2のボスニアボブスレーチーム4人などが紹介されている。
ベルリンの壁崩壊後の世界の状況がものすごく影響していたことに改めて気付かされる。
かつて東ドイツで金メダルを取ったビットがアマチュアで復活して参加していたが、競技のためというより平和を訴えるメッセージだった。曲は「花はどこへ行った」だった。(残念ながら総集編には収録されていなかった。)
金を取ったのはオクサナ・バイウルだった。ソ連時代はエリート教育されていたのが、ソ連崩壊で練習の環境を失った彼女を既に金メダリストとしてプロになった同郷ウクライナのペトレンコが支えてきた、なんて話があった。エキシビションでは二人でペアスケーティングのステップを踏んでいた。ちなみのこの時バイウルは16歳だが、同じくエキシビションの「白鳥」の演技力は、その後のタラ・リピンスキーやサラ・ヒューズなどのお子ちゃまメダリストたちとは一線を画す。その意味でトリノで荒川が金を取った意義は・・・いやこれは脱線。
バイウルも金を取った後はあんまり幸せじゃないらしい。
そしてペアスケーティングの金はあのゴルデーワ・グリンコフ組だった。カルガリーで金を取り、結婚、出産してソ連崩壊後に五輪に戻ってきてロシア代表として再び金を取っている。これも偉業だが、あらためてビデオを見ると演技がそれ以上に素晴らしい。一般人がペアスケーティングでイメージするペアの典型、華奢な美女とたくましい美男の組み合わせ、リフトしてまっすぐ滑ってるだけで絵になってしまうポーズの美しさ。ペアも現在は高度技術(スロートリプルアクセルとか、ちなみにゆっくり3回半回ることじゃない)に向っているらしいが、このペアを見るとフィギュアはそうじゃないということがよくわかる。
それにしてもこのゴルデーワ組、この後にグリンコフの急死という過酷な運命が待っていることを、プレイバックで観る僕達は知っているだけに、ぐっとくるものがある。「愛しのセルゲイ」参照のこと。この頃は検索するといろんなビデオが見られるようだ。
それにしても、リレハメルの大会は美しい大会だった。五輪が五輪としての輝きを持っていた。
しかし昔が良く思えるのはつまり自分が年を取ったということか。
あの頃の自分、若かったなあ。