山形の街

10月の3連休、山形の実家に帰省。
最近は司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズを多賀城市の図書館から借り出して読んでいる。
その羽州街道の項。
米沢を巡った後に司馬さん一行は荒砥から狐越えを通って山形盆地に入る。
高台から望む山形の街の眺めを司馬さんはほめている。新建材の家で色彩があふれているのに、不思議に似合っている。蔵王などの山々の背景のせいだろうか、云々。
故郷の景色をほめられて当然悪い気はしないのだが、山形というのはそんな街だったろうかとも思う。
しかし司馬さんの「街道をゆく」はその土地の住人も知らない故事や昔の人の話に満ち満ちているのだ。
惜しむらくは山形の街の景色を作った一つの要因として、県令三島通庸の影響というのは大きかったのではないかと思うのだが、羽州街道の項では触れられていない。
あるいは意図的にスルーしたのだろうか。
最上義光にしろ三島にしろ、山形にとって随分いろんなことをした人物のはずだが、それが現代の山形人に敬愛されているとかそういうことにはあまりつながっていないと思われるのは、彼らのあくの強さということのせいでもあるのだろうか。