ママチャリいじり

暇にまかせて自転車屋のまねごとをしている。
もともとウチには自分の分とヨメの分と、ママチャリシティサイクルが2台あった。
自分のMTBを買い、その後ヨメの自転車も8段変速のちょっといいのを買ったので、シティサイクル2台は捨てられそうだったのだが、僕の手慰み用に残しておいた。
どちらも26インチだが、ヨメのは内装3段で年式が新しいので、まずこちらを整備。
前輪のスポークが完全に錆びていたので全交換。
初めてで時間はかかったが意外に上手く行き、ぐっと見た目が良くなった。
スタンドとか、錆び具合がマシなパーツをもう1台から移植。

そして、部品取り用にされそうだったもう1台。
こちらは前後輪ともスポークが逝っている。酸化鉄製スポークという状態。
完組ホイールにタイヤ・チューブまでセットで前輪2000円、後輪5000円(ブレーキ、スプロケ込み)ぐらいで売っていたので、それを買えば手間がないと思ったが、完成車が1万円ぐらいで買える時代にどうなんだ、と熟考の末やはりスポークのみ張り替えることに。
よく見るとリムがARAYA製でまったく痛んでいなさそうだったこともある。

最初の前輪張り替えのときはわからなくなりそうだったので、1本外しては1本交換という地道なことをやったのだが、慣れた(つもりになった)ので、一旦スポークを全部抜いてリムとハブだけにしてから掃除して新しいスポークを張る。多少は元の状態をメモったのだが、やはりよくわからない部分が出てきてかなり苦労した。
なんとか出来上がったものの、恐ろしく振れていた。
当然ながら振れ取り台などは持っていないので、車体に取り付けて調整。自分的な許容範囲に入ったのでOKということに。

後輪は懲りたので、またちょっとずつ交換。最初は2本づつやっていたが、4本づつ交差しているのを交換するとやりやすいようだった。
出来上がりの振れは前輪よりはだいぶマシだったが、後輪はリムブレーキじゃないので振れ調整はやりにくい。これも自分的な許容範囲でOK。

出来上がりがこれ。

リムはピカールで磨いたら新品同様(?)になった。
20年以上前の車体で、しかも多分ジャスコプライベートブランド品なのだが、パーツ自体は何年か後に買ったヨメの内装3段より程度がいいような気がする。
ハンドル周りもいじりたいのだがステムがどうにも抜けなかった。サドルはMAXまで上げて少し後ろにずらした。できればもう少しかっこいいサドルにしたい。
タイヤを組んだらムシゴムがダメだった。タイヤの組方のせいか、走ると変な音がするのでまだ要調整。

それにしてもこれ、乗るのか?
変速なしではさすがにもう団地の坂を登り切れる自信がない。
それでも脚力養成ギブスとして乗ってみるか。

東北本線「山線」跡を行く

利府の家に戻ってきて、利府街道周辺を自転車でうろうろしているうちに、利府街道に平行して細い道路がずっと続いているのに気がついた。これはどうも昔の東北線の路盤跡がそのまま道路として使用されているものらしい。東北線は最初に利府から内陸側を品井沼鹿島台方向に行く「山線」で開業し、その後現在の海岸沿いを走る「海線」が開通、山線は廃止となり岩切ー利府間だけがかろうじて残されたという経緯らしい。

9月11日、今はなき利府ー品井沼間の「山線」跡を辿ってみた。




利府駅からわずかに先に森郷公園があり、旧形車両と蒸気機関車が保存されている。


利府中インターの入り口付近から細い道に入ると、いかにも軌道跡っぽい感じになる。


赤沼の染殿神社のところで利府街道の交差点にぶつかるが、砂利道で続いているのが軌道跡のようだ。このあたりは旧赤沼停車場跡だったらしい。


砂利道は松島海岸インター付近まで続いているが、その後一旦途切れ利府街道を進む。交通量が多くて怖いが、松島町域に入るとすぐ左手に平行する道が出てくる。
水田の中の平坦な道でらくちんである。


道ばたに石鳥居とさるすべりの大木、そして山側に朱塗りの鳥居が見え、立ち寄ってみる。
「馬櫪神社」(ばれきじんじゃ)。聞き慣れない社名だが、馬にまつわる神社らしい。馬櫪とはかいば桶のことだそうだ。大きな社ではないが、趣きのあるところだった。


樋渡付近で三陸道と利府街道に挟まれる形でまた一旦利府街道に追いやられるが、すぐにまた左側に入る道が出てくる。
不思議な形のタワー。給水塔らしいが、昔仕事でこの辺りを車で走っていた頃に見た記憶がある。



「山線」時代の旧松島駅の駅舎がデイサービスセンターとして使われているらしい。
軌道跡を走っていると裏側になるため気付かずに通り過ぎてしまい、少し引き返して写真を撮った。


現在の東北線、「愛宕」駅に出た。愛宕駅は旧松島駅が廃止になった時に代替駅として設置されたらしい。ここからは山線海線とも高城川に沿ってほぼ平行しているが、品井沼まで軌道があったらしいのでさらに進む。


高城川を渡る橋と東北線


高城川と品井沼の間は鉄道以前に元禄潜穴という暗渠水路があったところらしく、遺構が保存されている。
ここは「ずり出し穴」ということですり鉢状に掘り下げ、その底から横穴を掘り進んで水路としたものと推定されている。
難工事に伴う犠牲者や理不尽な悲劇の伝承もあるようである。

山線跡は隧道を通って品井沼駅へ続いているようだったが、手前で車両通行止めの看板があり、脇道(山道)に入り込んだところ、草の生い茂る難路となり自転車を推しながら強行突破したところ反対側の国道346号に出てしまった。仕方ないので国道沿いに峠を越えて、明治潜穴公園まで来て一休み。
とりあえずそのまま国道側から品井沼駅まで行ってみる。

本日の目的地、品井沼駅に到着。周辺に住宅もあり、予想よりちゃんとした(?)駅だった。

駅舎内もなんとも昔懐かしい佇まい。スイカは使えるようだ。
時刻表は見なかったが、路線沿いを走っていてももっぱら貨物列車ばかりが走っている印象だった。

品井沼は昔実際に沼があったらしいが、元禄潜穴と明治潜穴による干拓、水田開発によって沼自体は消滅した。それでも大雨による水害でこの辺りが水没したことは僕も記憶にある。

品井沼駅近くの松島第五小学校には「どんぐりころころの碑」がある。童謡「どんぐりころころ」の作詞者、青木存義は松島町そしてこの小学校の出身ということで記念しているようだが、その事実が再発見されて記念されるようになったのは比較的新しいことらしい。

山線跡を完全トレースできないのは心残りなので、車両通行止めの区間を再度逆から辿ってみた。
隧道手前(品井沼より)の一部で山側から土砂がくずれているところがあり、幅員が狭くなって自動車は確かに通れなさそうだったが、自転車は難なく通行できた。
狭い隧道を抜けると先程のずり出し穴のところに出てトレースがつながった。めでたし。
この隧道も旧山線跡のものを使用しているのであろう。
山線は海線に比べて急勾配の区間があり、それも海線に破れた一因とあるが、自転車で走る分には坂らしい坂もなく、快適なサイクリングコースであった。帰り道に松島の海岸側から利府街道側に戻る山越えのほうが難儀だった。

イナイチ

7月21日、福島生活最後の思い出に猪苗代湖一周に行ってみた。
郡山から自走はさすがに僕にはきついので、猪苗代まではクルマで行く。


白鳥浜近くのコンビニからスタート。ヨメは近くのタロカフェで待機してもらう。


最初は湖畔に沿ってサイクリングロード。サイクリングロードとはいえ、並行した道に車で来て釣りをしている人のほうが多い。
一旦国道49号に戻り、天鏡閣のところから名倉山に登ろうとしたが、登山道を見逃しくたびれ儲け。


十六橋水門。猪苗代湖の水はここから会津へ流れ出している。水門前は小さな入江のようになっていて、子供達がカヌー教室をやっていた。


ファンドールン先生である。郡山の安積疏水でもおなじみ、開成山公園にも記念碑が立っている。
郡山の発展は疏水のおかげ、すなわちファンドールン先生のおかげと言える。


十六橋水門から49号を横断し、しばし農村風景の中を走った後、湖畔に戻る。マリーナが点在するビーチ・リゾートになる。


難所は金山と思い込んでいたら、その前にも峠があってしぼられる。短い峠だが、かなり急坂。これは登り切ったところからの眺め。突き出しているのが材木山、磐梯山は残念ながら雲の中だ。


一旦下って、これからが金山越え。前方の小山が金山らしい。


金山の登りは終わりそうでなかなか終わらない。最後の登りの手前12%勾配の標識を見て足が止まり一休み。


金山越えは一旦終わったと思って下ってからもう一登りある。やれやれ。
郡山市域(旧湖南町)に入れば後は下り坂。(だったかな?)


湖畔のビーチではバーベキューをやってる人達がやたらに多い。すでに夏休み突入か。
水際の道をひた走るが、予想より時間がかかりそうだ。
自転車用なのか、所々曲がり角に路面に矢印が書いてあるのは助かる。


東岸まで来るともう足も疲れがたまり、なかなか前に進まない。ロードバイクに軽快に追い抜かれるが、あれは自転車の違いか脚力の違いか。
後方に猪苗代湖畔に立つリゾートマンションが見える。


ここまで来れば49号、もう少しだ。カフェで延々待っているであろうヨメに連絡を入れる。


最後は橋梁の微妙な登りも辛い。磐梯山は未だ山頂を現さず。

結局、猪苗代湖一周56.5km、所要時間4時間5分だった。
平均速度13.8km/h、名倉山でだいぶロスしたとはいえ、予想以上に時間がかかった。というか疲れた。。
タロカフェの脇の空いてるほうのコーヒーショップでコーヒー飲んで、猪苗代の町で蕎麦食って帰る。

日本は世界一安全な原子力発電技術をご提供できます

6月23日、郡山での生活も残りわずかとなり、今まで近寄らなかった東側に行ってみた。



国道288号を東へ。田村市船引を過ぎると都路街道という名前が付けられている。この僻遠(失礼)の地に都路とはいかなる所以であろうか。
都路地区に入ると、道路脇に除染ゴミの黒い袋が仮置場として集積されているのが目立つようになる。



峠道に入り、市境を越えて大熊町に入るとすぐに受付所がある。
交通整理のベストのようなものを来た数人の女性がいた。この4km先に検問があり、許可証を持っている人だけ入れるとのこと。
ここでは防護服を貸し出したりしているらしい。休日なので一時帰宅して作業する人が多いのだろう。
野次馬である僕はここでUターンする。
福島第一原発まではあと20kmぐらいか。


くまもんのバッタもん、ではなく大熊町のキャラクターらしい。鮭の遡上する川や豊かな果樹園の町であったことが窺われる。


道路脇の幅数メートルで地表がはぎ取られているのは除染作業によるもの。


都路まで戻り、国道399号川内村まで行ってみる。
帰村宣言をしたものの、様々な理由で帰れない人が多いと聞く。


これは都路地区の除染ごみ仮置き場。


川俣町に抜けようと399号を葛尾村方向に進むとさらに仮置き場が目立つようになる。


道路脇だけの除染がどの程度の効果があるのかはわからないが、異様な光景である。


浪江町域には入れないようで、ここでバリケード通行止めであった。監視カメラ作動中という看板があった。

タイトルは安倍首相が海外で原発技術トップセールスを行った時の発言である。
これをテレビニュースや記事で目にした時は怒りを通り越して吐き気を感じた。
少なくとも福島の現状とは大きく乖離した言葉であるのは間違いない。

デジタルアンプ

ステレオのアンプが前から不調で片チャンだけ音が小さく、バランスつまみをかなり片側にひねって聴いていた。
それで普通に鳴ってはいるので気にしなければ済むのだが、どうも気になってきて。
プリ部とメイン部を背面のジャンパーピンでつないでいる構造で、プリ部分は大丈夫らしい。異常はメイン部ということ。
それで開けて修理、という甲斐性もないので、適当なメインアンプを探すかと。
しかしハードオフで中古を探すにしろ、新品の安いもの買うにしろ、プリメインごと買ったほうが早い。がそれでは今のアンプを捨てるしかなくなる。
で、こんな「デジタルアンプ」を5000円弱で売ってたので買ってしまった。


中国製。音はいいがはずれもあり的なネットの評価だったが、とりあえず来たモノは初期不良ではなかったようだ。
元のアンプのプリ部出力を入れてみる。音の良し悪しはわからないが、僕の耳で気になるようなことはない。

それにしてもデジタルアンプ?と前から疑問だった。CDのデジタル信号を増幅したところでスピーカーの音がでかくなるはずはなし。。
出力電流の調整をPWMなどでパルス的/デジタル的にやってるということらしい。つまりモーターのインバーター制御なんかと似たようなものか。
スピーカーも電磁アクチュエーターだから、原理は同じ。
高効率がメリットということで、こんなちっこいもんでもちゃんとでかい音がでる。発熱も少ない。
元のアンプはやっぱりいらないかも。。

飯坂の高畑天満宮うそかえ祭


混雑するというので、飯坂電車に乗って行ったが朝早く行ったおかげかまだそれ程でもなかった。
木彫のうそ鳥を売っている。

来年はそれをまた神社に納めて、また新しいのを買うらしい。


飯坂温泉は街並みがレトロで面白い。